『波のむこうのかくれ島』
目黒次は『波のむこうのかくれ島』。新潮社の「シンラ」に連載したもので、2001年5月に新潮社から本になって、2004年4月に新潮文庫と。旅エッセイですね。南から北までさまざまな島を訪ねていく紀行エッセイ。垂見健吾のたくさんのカラー写真が載っている。
椎名おれの写真もあるだろ。
目黒モノクロのいくつかが椎名の写真だ。その垂見健吾の写真を見て、しみじみと思うんだけど、たった十四年前とは思えないほど、椎名が若いんだよ。三十代のころとほとんど変わらないぜ。このとき五十五歳か。若いときは五十五歳のおやじなんて年寄りだと思っていたけど、今から振り返ると五十五歳はまだまだ若い。いやあ、びっくりするよ。何歳が境目なのかなあ。
椎名何が?
目黒この歳を過ぎるとめっきり老け込むって歳があるんじゃないの。やっぱり還暦かなあ。還暦前の五十代は元気はつらつだね。最近しみじみそう思うんだ。
椎名どうした急に?
目黒ま、いいや。ええと、島の地図がイラストで描かれていて、沢野が4点、椎名が6点。この本に載っている。沢野のイラストはカラーで、椎名のイラストはモノクロと違いはあるんだけど、絵も字も、似てるね。あなたたちは。
椎名そうなんだよ。
目黒あとね、イカスミのカレーを作る話があって、沢野がカレーにイカスミを入れるいんだけど、まずかったという話。
椎名あれは失敗だったなあ。何でも入れればいいってもんじゃないんだよ(笑)
目黒イカスミの甘くて強い主張がカレーの味を全面的に殺してしまった、と椎名は書いているね。
椎名カレーの味がしないんだよ。
目黒それはだめだなあ。ええと、あと印象深いのは、竹島の籠港にいくくだり。岩波写真文庫で出た『忘れられた島』の表紙写真がこの籠港で、
はるか下を白波渦まく断崖絶壁の上にはりわたされた粗末な吊り橋の上を、背負い籠を担いだ若い娘が列をつくって何人も上がってくる。見ているだけで目がくらくらするような一度見たら忘れられない迫力ある写真だ。
と椎名は書いていて、その写真もこの本には載っているからぜひ見てほしいけど、ホントにすごいよね。おれ、高いところがダメだから、この写真を見ているだけでくらくらしてくる。その籠港をこの旅で訪れて、『忘れられた島』の表紙写真に映っていた人のその後の消息を知るくだりが興味深かった。
椎名昔の人はああいう断崖を昇り降りしていたんだからエライよな。
目黒おれが気になるのはその竹島のくだりで、硫黄島が出てくるんだけど、この硫黄島って第二次大戦のときに戦場になった有名な硫黄島と同じ島じゃないよね。
椎名違うよ。こっちの硫黄島は、平清盛の怒りにふれ、俊寛が流された島だから。鬼が住んでいそうなので別名が鬼界島。
目黒あのね、おれが言いたかったのは、どうして同じ名前の島があるのかということ。
椎名そう言われてもなあ。
目黒島の名前って誰が付けるの?
椎名誰って?
目黒勝手に付けられないよね。ということは、国?
椎名かもなあ。
目黒どうして調整しないのかなあ。その名前の島は新潟沖合にあるから、こっちの島の名前は変えようとかさ、調整すればいいじゃん。不便でしょ、同じ名前の島があると。
椎名水納島(みんなじま)も二つあるぜ。
目黒そうそう。その水納島はこの本のなかに出てくる。クロワッサンのかたちに近いほうの水納島で、椎名が初めて浮き玉野球をするんだよ。
椎名そこで初めて?
目黒椎名はそう書いている。
椎名そうだったかなあ。
目黒これはさ、一方がクロワッサンのかたちに近いという特殊な形状だったので、まぎらわしくなかったけど、いつもそうではないでしょ。まぎらわしいよね。まあ本としては島を訪れるというテーマが明確なので、漫然と旅に出るエッセイよりはよかった。
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